2020/11/08 軽井沢・横川(後編)

 こんにちは。

 日が開いてしまいましたが、無事(???)テストも終わったので軽井沢・横川編の後半を書こうと思います。まだ前半をお読みになっていない人も、あまり前半と関係のないことを書いていますので、このまま読み進めてもらってもかまいません。

 今回は旅行記というより、見てきた列車を解説するというのが主なものになっていますから、いつもとは違う形になると思います。そんなに鉄道が詳しくない人でも楽しめるよう書きますので、最後まで読んでくだされば幸いです。鉄道に詳しい方は、小学生の自由研究の発表を見守るような心で見てください。

 それでは。

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前半のあらすじ

 前半は軽井沢から横川-軽井沢間の廃線跡を歩きました。碓氷峠を渡り、無事4時間半ほどで横川駅に到着し、横川駅の名物駅弁「峠の釜めし」を食べました。

 

碓氷峠鉄道文化むら

 横川駅のすぐ隣に碓氷峠鉄道文化むらという施設があります。ここには、多くの保存車両の他、碓氷峠の歴史が学べる資料館、EF63形電気機関車の運転体験までできます。運転体験には学科・技能講習などが必要なため簡単に行うことは難しいですが、それ無しでも十分楽しめるところだと思います。

 ではここからは展示車両について説明していきますが、あまり鉄道に詳しくない方も多いでしょうから、まず車両記号について説明します。これを知っていれば多少次からの説明が面白くなるのではないかと思います。

車両記号

 皆さんは「キハ」や「EF」などの車両記号の意味をご存じでしょうか。これらの記号の意味を考えると、その列車がどんな列車で何をするのかがすぐにわかります。

 

 たとえば、この碓氷峠鉄道文化むらで展示されている「EF 63 11」という車両の場合を考えます。

 「E」はElectric(電気)の略でこの車両が電気機関車であることを示します。これが「D」

のときはDieselの略で、ディーゼル車であることを示します。

 次に「F」は動軸数の数を示しています。動軸というのは車輪と車輪の間にある回転軸のことです。「F」はアルファベット順に並べて6つめですから、動軸数は「6」。動軸数1つにつき車輪は2つですから、車輪は「6×2=12」ついているということになります。これが「D」になると動軸数は「4」、車輪は「4×2=8」になります。

 あとの「63」は形式番号、「11」は製造番号(11番目に作られた車両)です。形式番号についても意味がありますが、ここでは割愛します。

 

 次に「オハネ 12 29」といえ車両の場合について考えます。これは先程の車両とは違い、自分から走ることはできず、自分から走る列車に引かれて走る列車です。

 まず「オ」は32.5t以上37.5t以上であるという重量を示しています。

 次に「ハネ」ですが、これはB寝台車のことを示します。「ハ」は主に普通車に使われることが多く、これより1つ上位の車両は「ロ」を使います。指定席が「ハ」でグリーン車が「ロ」と思ってもらえばいいと思います。寝台車とはその名の通り寝るための列車です。車両の中にはベッドなどが備わっています。「ネ」は寝るという字からとっています。また、価格や設備はA寝台車>B寝台車となっており、A寝台車では「ロネ」、B寝台車では「ハネ」を使います。

 あとの「12 29」は先程と同じく形式番号と製造番号です。

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 上の表のようにアルファベットやカタカナがなんの意味を示すのかがわかれば、その車両の特徴も知ることができます。それを考えながら是非読み進めてみてください。

EF63

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 EF63は碓氷峠で1番活躍した電気機関車です。前半にも記載しましたが、碓氷峠は非常に急勾配な坂になっており、通常の列車で走行することは困難だったため、このEF63が列車を牽引することによって、横川-軽井沢間を走行していました。碓氷峠鉄道文化むらでは動態保存が4両、静態保存が3両保存されています。また、軽井沢駅でも見ることができます。愛称は「ロクサン」

 

EF62

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 EF62はEF63と協力して碓氷峠を登り下りするために作られた機関車ですが、EF63は横川-軽井沢間専用の列車だったのに対し、EF62は長い距離を走れるようになっていました。例えば、「急行 能登号」という上野発金沢行の夜行列車に使用されました。また、連結器などにも違いがあります。


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左がEF63、右がEF62です。

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これがEF62の運転台。実際に座ることができます。テンションめちゃくちゃ上がりましたね。電車の運転席って夢と浪漫に満ち溢れてると思うんですよね…。

 

D51

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 D51蒸気機関車は貨物用のSLとして使用されました。Dは動軸数の数を表し、車輪は8つ。これがCになっているものはほとんど旅客用で、Dになっているものがほとんど貨物用です。愛称は「デゴイチ」「デコイチ」「ナメクジ」。

 

DD53

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 DD53形は除雪用ディーゼル機関車です。元々除雪用ディーゼル機関車として使われたDD14形に代わって登場しました。大きなロータリーヘッドをつけて見るからに強そうですね。しかし、大出力ゆえ民家や電柱に大量の雪を投げ込んでしまうことになり、DD14形の方が除雪に適していると世間では言われるようになってしまい、山岳地帯まで追いやられることになりました。この車両は3機しか作られず、1号機はこの碓氷峠鉄道文化むらで静態保存されていますが、2・3号機は廃車になりました。

 

ソ300

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 DD53の後ろに繋がれているのは、ソ 300という車両です。国鉄車両としては最大の列車で、車輪は左右合わせて32個付いています。「ソ」というのは「操重車」であることを示していて、車両にはクレーンが搭載されているのが見られます。保線作業や事故発生のときの復旧工事などにしようしました。

 

マイネ40(マロネ40)

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 マイネ40形は1等寝台車として登場した客車です。1955年の1等車廃止により、マイネ40形はマロネ40形と変更されました。

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側面には「J.G.R.」の文字があります。これは何かと言うと、「Japan Gavernmental Railway」の略です。現在のJRの前身は日本国有鉄道、いわゆる国鉄と呼ばれる組織で、これは「Japan National Railway」から「JNR」と呼ばれていました。サンフランシスコ平和条約を結ぶ前はこれが「J.G.R」と呼ばれていたのです。

 

 オシ17

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 オシ17形の「シ」は食堂車を表わします。この客車では料理を作ったり食べたりすることができたわけです。

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ただ、中の様子はこんな感じ。とても食べるところとは思えないですね。実は、オシ17形の一部は「オヤ17形」という教習車に改造されています。この展示はその教習車からオシ17を復元させたものなので、その器具等がのこされています。オシ17は「はつかり」や「きたぐに」等で使用されました。きたぐにではオシ17が原因でトンネル内で火災を起こし多数の死者を出すという悲惨な事故もありました。

 

オハネ12

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 オハネ12はB寝台客車で、軽量かつ54ものベッドを備えている客車です。多くの寝台列車などで使用され、晩年は普通寝台「ながさき号」などに使われました。

 

 

EF30

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 EF30は関門トンネル(下関と門司、つまり九州と本州を結ぶトンネル)で使用されました。海沿いを走るため湿度や塩度に強いステンレス製になっています。例えば九州まで行く寝台列車が下関まで来たら、そこから機関車をEF30に取り替えて関門トンネルを渡り、門司でまた他の機関車に取り替えるということをしていました。現在はEF81などが活躍しています。

 

 

189系

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 189系は多くの列車で使用された特急型列車です。ここに展示されているのは特急「あさま」として使用されたものです。「あさま」は上野-長野・直江津間を信越本線経由で走った列車で、今では北陸新幹線でその名前をのこしています。もちろん横川-軽井沢間も通っており、その区間はEF63に牽引されて走行しました。展示されているあさま色189系はあさまが引退するときに最後に碓氷峠を登ったものです。旧国鉄色189系は普段は車両の中に入ることができ、昔の座席に座ることもできます。が、

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コロナ解せぬ。

 189系は長く愛され続け、2019年3月28日に役目を終えました。

 

ヨ3500

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 私が知らない車両だったのですが、フォロワーさんから教えて貰ったので書かせて頂きます。「ヨ」は車掌車で貨物列車などの一番後ろにつけた車両です。車掌さんが危険を察知したときにブレーキをかけたりするものですが、現在は貨物列車に車掌が乗ることはないので車掌車は姿を消した。車掌さんとか車掌車とか、言いづらいですね。

 

ED42

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 ED42はEF63が登場する以前に碓氷峠で活躍した国産初のアプト式機関車であり、準鉄道記念物に指定されています。

アプト式鉄道というのは、写真のように線路の間にラックレールと呼ばれる歯がついた線路が敷いてあり、そこに噛み合うように同じように歯がついた車輪を使って急勾配を登るというものです。EF63が登場するまでこのような方法で碓氷峠を上り下りしていました。

 

 以上で展示車両解説を終わります。長々とお付き合いくださりありがとうございます。

 

終わりに

 鉄道文化むらを満喫したあとは軽井沢までバスに乗って帰りました。峠の釜めしは美味しかったのでまた食べに行きたいですね。今度は軽井沢の方も色々見て回ってみたいですね。鉄道文化むらではいろんな車両が見られて結構面白かったです。後半はお酒飲みながら書いたのでだいぶ雑なものになってるのではないかとおもいます。申し訳ございません。最近はどこにも行ってないので次の記事は過去の旅行になるかもしれません。今回もありがとうございました。

 

参考

www.usuitouge.com

 

www.youtube.com