2021/08/21 【旧篠ノ井線廃線跡地】篠ノ井線の廃線の魅力と過去の計画に迫る

 こんにちは…。書いて下書きに保存してたはずなのに全部消えてて、もう一度初めからこのブログを書き直してる者です…。まあ、せっかく考えてた内容なので、がんばって書き直します…。

 今回は夏に篠ノ井線廃線を歩いてきたときの様子を書きました。残された国鉄の香りと、廃線になった理由を考えながら楽しんでいただければ幸いです。よろしくお願いします。

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明科駅

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 廃線のスタートはここ、JR篠ノ井線明科駅です。篠ノ井線は現在も旅客列車、貨物列車が運行されている路線です。では、今から巡る廃線とはなんでしょう?

 これは、明科駅から隣の駅の西条駅までのルートが変更されたため、古い方の線路は使われなくなって、廃線という形で残っているということです。

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 明科駅から廃線まではこの標識に従えばたどり着くことができます。

 

三五山トンネル

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 さて、トンネルが見えてきました。これは過去に、線路が敷かれていて列車が行き来していたトンネルで、今はその役目を終えて静かに眠っています。

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 三五山(さごやま)トンネルと呼ばれていたこれはレンガ造りのトンネルですが、真ん中から上にかけてはモルタルで覆われています。これは、篠ノ井線が全線電化した際に、架線に水滴が付着するのを防ぐためだとされています。

トンネルを抜けると・・・

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 三五山トンネルを抜けるとかなり急勾配が続きます。ここを昔は蒸気機関車が力強く登っていたのを想像すると、その光景が実際に見たくなってきます。

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 「林内に立ち入らないこと 〇〇鉄道」。日本国有鉄道と書いてあったのでしょう。消す必要あったのかな?

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 踏切がありました。製造年が書いてあったので見ると、ここが廃線になってから製造されたものでした。装飾で置いたのだと思われますが、こういう粋な計らいは嫌いじゃありません。

 

漆久保トンネルと小沢川橋梁

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 ずっと歩くと2つ目のトンネルが見えてきました。漆久保トンネルです。これは外から見てレンガ造りであることがよくわかりますね。

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 短いトンネルな分、とても絵になります。

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 出口には速度制限標識がありました。当時使われていたものでしょう。

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 ちょっと寄り道。トンネルの下には小沢川橋梁という橋があります。これはノコギリの歯の様なレンガの積み方をしているのが特徴で、この積み方は全国でも稀なのだとか。

 

潮沢信号場跡

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 トンネルを抜けてさらに進むと、潮沢信号場の跡地があります。信号場は上下の列車を交換する場所で、一旦上りが下りの列車を止めて、逆の列車を先に行かせてからその列車も発車するというところ。これがあるということは、ここは単線区間であったことがわかります。

 昔、この信号場の近くに住む自治体が善光寺戸隠神社に参拝する旅行を計画した際、お年寄りが多く明科駅まで行くのは困難だと言うことで、自治体が国鉄に交渉して一日だけ特別に客の乗り降りをした信号場で有名です。

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 当時この信号場で撮られたとされる写真が置いてありました。息を飲むような素晴らしい光景。僕もこの時代に産まれたかったものだ…。

 

ゴールへ

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 信号場を後にして進む。するとこんな看板がありました。「廃線敷きはいかがでしたか?季節が変わりましたらまた、お越しください」。是非とも次は紅葉の季節に来たいところですね。明科から歩くのはだいぶ疲れましたがw

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 大きな広場に出ればゴール。ここに車を停めてこちらから明科駅を目指すこともできます。さすがに西条駅まで行くのはやめて、ここで引き返しました。

 

廃線になった理由

 さて、先程篠ノ井線は明科〜西条駅でのルートを変更し、元あったルートを廃線にしたと言いました。これは何故でしょうか?

 先程お見せしたように、明科から西条の元のルートは山道を通り、急な勾配を登ります。トンネルは短いものが2つほどしかありませんでした。これは、山を少し迂回して線路が敷かれていたためです。よって、地すべりなどの自然災害でよく運行休止を余儀なくされたようです。

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現在の篠ノ井線 明科~西条

 国鉄はこれを回避すべく、新たなルートを作ることにしました。それは明科から西条まで3つの長いトンネルを掘るというものでした。これにより明科から西条の距離は短くなり、地すべりなどの自然災害もトンネル区間が長いことから起こりにくくなりました。これが今の篠ノ井線です。

 

幻の複線化

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篠ノ井線を走る特急しなの号(聖高原冠着)

 篠ノ井線は特急列車や貨物列車も多く走る区間です。国鉄はさらに篠ノ井線の運行がスムーズにできるよう、単線区間であった篠ノ井線を複線化することにしました。明科から西条もその計画が建てられ、旧線から新線になる際に複線化してしまう予定でした。

 しかし、国鉄の財政は悪化。トンネルを2つほったところで国鉄は民営化され、JRと名を変えました。なんとか3つめのトンネルは掘られましたが、残念ながらこの区間が複線化することはなく、この計画は幕を閉じました。

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明科と西条を結ぶトンネル 右に線路一本分が敷けるスペースがあるのがわかる

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明科からのトンネルを抜けて西条駅へ向かうしなの号 こちらも画面左下に大きくスペースがある

 明科〜西条間で列車に乗ると、不自然に片側だけ大きく敷地が空いているのがわかります。これは複線化されるときにここに線路が敷かれるはずだったスペースです。今も尚その計画の面影を見ることができます。

 

終わりに

 いかがでしたか?廃線を歩くのはとても楽しいので、皆さんも身近な廃線を調べてみてはいかがでしょうか?その線路が何故廃線になったのか、その理由を探りながらする散歩はとても楽しいものでしょう。